世界構想プログラム
N3 Program(Node of Narrative Network)
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5th Anniversary Messages
Message 03
羅針盤を持って旅をすること
今まで自己流で手探りながらも、自分が人と関わり、物語を紡ぐ上で大切にしてきたこと、実践してきたことに対して、理論的な「骨格」が備わった。「世界構想プログラム」に参加してみての感覚を表現するとしたらそのような表現だろうか。
ただしそれは、なにか一つのわかりやすい「正解」を保証してもらったり、権威付けしてもらったりするということではない。主催者である設樂剛先生の言葉選びは、他ではなくその言葉を選ぶことに対する確信があり、またそれでいて難解すぎない、聞くことでイメージが広がり、対話が生まれるような言葉選びだ。言葉を通して、世界認識の枠組みが提示される。集まった参加者は、彼に質問を投げかけられたのち、一人ひとり、最初は少し緊張しながらおずおずと、しかしながら自分の実感に基づいた言葉を発していく。次第に対話は多声的に広がりを見せ、気づくと時間が過ぎており、しかし性急な結論は出さず、場は穏やかにクローズし、参加者は銘々の日常に戻っていく。何かが瞬時に、劇的に変わるわけではない。しかし確実に、参加した私の世界を見る眼差し、他者と関わり合うときの所作はアップデートされている。そのような感覚である。
講座では、人間社会がこれまでどのようなパラダイムで動いてきたのか、そして複数のパラダイムが地層のように折り重なりながらアップデートされていく道筋が示される。その歴史的系譜のなかに、自分の思索と実践を定位すること。それは、答え(目的地)が未だわからない中でも旅を続けていくための、地図や羅針盤のような機能を持っているのかもしれない。
私はインタビュアーであり、文筆家であり、編集者である。インタビューにおいては、私自身が答えを持って誘導するのではなく、時間をともにするインタビュイーに問いを投げかけ、対話をしながら共にナラティブを紡いでいく方法を取っている。講座で示された「第3カーブ・ビジネス」というパラダイムは、強い1人のリーダーが引っ張っていくのではなく、多数多様な個人の関わり合いの中でこそ新たな価値が生み出されていくという、私の実践上のフィロソフィーに重なるものがあった。世界は重層的であるから、自分のやり方が唯一絶対とは思わない。しかしながら、自分がどういうパラダイムの中にいるかを認識できたことは、他者と、世界と関与していく上でのある種の自覚と責任を私に感じさせることとなった。物語ること、一人ひとりの小さな物語を紡ぎ、つなげていくこと。それが、私が関与する人たちにとって、少しでも善い働きをするように、という自覚と責任を持って、自分の持てる力を尽くそうと思う。