世界構想プログラム
N3 Program(Node of Narrative Network)
Thank you for
5th Anniversary Messages
Message 04
常に終わらない、
世界と自分の
アップデートの場としての
「世界構想プログラム」
私が設樂先生と出会い、世界構想プログラムに参加するようになったのは、以前勤めていた会社で役員をしていた4年前でした。私もそれまでの人生で、おそらく人よりも多くの、色々なタイプの知性にお会いしてきたと思っていましたが、那覇の沖縄料理屋の一室で初めてお会いした設樂先生に今までに体験したことの無い「知」を感じ、このような世界の見方をする人がいるのか、というのに驚いたことを覚えています。
その後は単発のセミナー・勉強会の参加を経て、会社全体の将来像を共に考えるプログラムまで参加させていただきましたが、その場が私にとっては日々の生活や事務的な作業等の細かなことから一旦離れ、自分自身のあり方がどうあるべきかをじっくり考え、共有し、発展させられるとても貴重な場・時間となっていましたし、特に2016年は月1回で東京に行き、丸1日かけて考える機会を与えていただいたことは、当時の私や会社にとって大変有用でした。
上記のようにして 5 年間、断続的に参加してきた私が世界構想プログラムの価値だと感じるのは、そこでしか得られない「世界の見方」を知ることができる点に尽きます。特に「インターミディエイター」という概念は、自分がどのような役割を担っていきたいのか、言葉にして表明しづらかったものに輪郭が与えられた気がしています。
また、場としての「世界構想プログラム」は、多様なバックグラウンドの方が集まり、それぞれが自身の業界や背景と絡めながら対話ができるものであり、これが自分の第3カーブ・マーケティングに対しての理解や、自分自身への反映に繋がり、より深く世界の事象を考えるきっかけになっています。
世界構想プログラムでの経験を単なる思考訓練や「良い話」だけにするか、日々の活動に生かすかは自分次第ではありますが、私はそれを日々の生活の規範として活用しようと努力しています。現在、県や市町村からの受託事業で地域活性に関するお仕事をすることが多いのですが、地域で何かしらの活動をする際には、利害が一致しない様々なセクターの方同士の連携を取り、かつ地域住民の方が主体的に社会課題等に取り組んでもらうための下地作りとして、双方の理解促進をする必要があります。
しかしこの仕事をしていて思うのは、理解促進の媒体となる役割を担おうとする人が思ったよりも少ない、ということです。おそらく必要性について感じる人が少ないのでしょうが、実際は各セクター間の歪に対してはそれぞれ不満を抱えており、しかしそれが何に起因しているのかわからないためストレスばかりが溜まり相手を否定する言動ばかりを取るようになっている、というケースが多く見受けられます。インターミディエイターの需要は見えていないだけで非常に広範囲に存在し、またその意義を顕在化させること自体が我々の使命なのだとも言えます。
その際に必要なことは、世界の見方が多様であり、一人ひとり、それぞれがそれぞれの正しさの中を生きているという前提を受け入れたうえで、対立ではない第3の道を提示することです。それはまさに世界構想プログラムで常に意識づけられることでもあります。
世界はVULCADである、と設樂先生は常に仰っていました。最近になって大手メディアなどでも「不確実性の時代である」というようなことは言われるようになりましたが、それが何を指し示すのか、その不確実性の中解決のために何をすべきかまで言われません。
しかし世界構想プログラムでは、3分法思考やナラティブ・アプローチといった、我々が取るべきアティチュードを常に提示し、かつアップデートされていくのですから、これほどまでに刺激に満ち、また自身の背筋を伸ばしていただける機会は他にはほぼ無いのではないでしょうか。残念ながらすべての概念をすんなりと即時に理解できるわけではありませんが、設樂先生や参加されている皆様との対話の中で、「なるほど、こういうことかもしれない」と理解を深めていく。この一連のプロセスで、私自身もアップデートされていくような感覚を得ることができる。それが世界構想プログラムの効用ではないかと思います。
おそらくプログラムは常に未完であり、それは私たち自身が、そして世界が未完だからに他なりません。だからこそ、今後も永続的にこの価値は続いていくでしょうし、私自身もそこから新しい見方を得て、アップデートし続けることが出来るのではないかと思っています。